酒と政治家

酒と政治家

   取材を通して日本の政治をウォッチするようになって42年になる。いろいろな政治家の生き方を見聞きしてきた。
  1940年代から60年代前半にかけて活躍した大野伴睦(元自民党副総裁。元衆議院議長)という大物政治家がいた。1964(昭和39)年に73歳で人生を終えた。
  死の直前、担当医が酒好きだった大野さんの最後の願いをかなえてやろうと思い、「ビールを一杯だけ」と許可を与えた。それを聞いた大野さん、舌なめずりしながら、秘書に一言、命じた。
 「大ジョッキを持ってこい」
 政治のことを、昔は「まつりごと」といった。祭に酒は欠かせない。まつりごとを業とする政治家は、酒とは深いつきあいになる。
 以前は「料亭政治」「宴会政治」という実態もあった。今でも密談、密会から、会合やパーティー、後援会の集まりまで、酒の席は多い。
  当然ながら、政治家の大半は酒をやる。 やるどころか、大酒飲みも多い。酒豪とまで行かない人でも、みんな結構、飲み助だ。
 池田勇人さん、竹下登さん(共に元首相)のように、造り酒屋の家に生まれた政治家も少なくない。変わり種は金丸信さん(元自民党副総裁)だ。家業は山梨県のワインメーカーだった。酒造家出身の政治家はそろって左党(辛党)で、酒量も半端ではなかった。
 田中角栄さん(元首相)は85年2月、66歳で脳梗塞を起こして倒れるまで、毎日、体にアルコールを流し込むほどの愛飲家だった。昔は日本酒もよく飲んだらしい。糖尿の気が出てきたため、蒸留酒党となり、最後はスコッチウイスキーの「オールドパー」の水割りを痛飲した。
 ところが、政治の世界にも、酒が苦手な人物はいる。いるにはいるが、気をつけて探さなければならないほど、圧倒的少数派である。
 小渕恵三さん(元首相)のように、ドクターストップで禁酒・節酒を余儀なくされた政治家を別にすれば、有名政治家では、河野一郎さん(元農相。河野太郎現外相の祖父)や二階堂進さん(元自民党副総裁)、ハマコーこと浜田幸一さん(元衆議院議員)、元三重県知事の北川正恭さん(元衆議院議員)、現役政治家では菅義偉さん(現官房長官)が思い浮かぶ。
 一杯もやらないというわけではないが、人前でほとんど酒を口にしなかった佐藤栄作さん(元首相)の例もある。
  長男の佐藤龍太郎さん(元ジェイアール西日本ホテル開発会長)に聞いた話では、熊本の旧制第五高等学校の時代、学校仲間との酒づきあいでひどい目に遭い、以来、栄作さんは名字のさとう(左党)とは反対の右党(甘党)で、酒ではなく、甘いものに目がなかったという。特に虎屋のようかんは1本丸ごと一人で食べてしまうくらい大好物だった。
 首相時代、「人事の佐藤」と恐れられたが、宴席でも杯をなめる程度で、酒が入った同席の政治家たちの言動を黙って観察した。しらふで品定めに徹し、得意の「人事」の判断に生かしたといわれている。
 物書きになって36年、政治や経済、金融、財政、官僚論、日米関係、昭和史など、たくさんの記事を書いてきたが、伝記や評伝、人物研究などに取り組む場合、取材に入る前に、いつも確かめておきたいと思うことが一つある。政治家に限らず、取り上げる相手が左党か右党かという点だ。
  私も酒好きだから、相手がのんべえなら、何となく気持ちや生き方が分かるような気がする。酒飲みだって十人十色、酒癖も千差万別だが、酒が手伝って浮かび上がる強気と弱気、交錯する大言壮語と愚痴、身勝手な言い訳と自己弁護、一方でそれを無原則に受け入れる酒飲みの優しさと大らかさ。こんな一面を通して、見かけとは別の素顔をのぞくことができるからだ。
 戦後すぐに首相となり、現行の日本国憲法の草案作成に携わった幣原喜重郎(元外相。後に衆議院議長)という政治家の伝記を書いたことがある(拙著『日本国憲法をつくった男 宰相幣原喜重郎』朝日文庫)。謹厳実直で知られた元外交官だったが、酒には目がなかった。
  駐米大使だった1921(大正10)年、アメリカは禁酒法の時代である。48歳の幣原は仕事で石射猪太郎(後にブラジル大使)という15歳年下の書記官を連れて、アメリカ国内を夜行列車で旅行した。
  車内での夕食が終わった後、幣原は車窓のブラインドを下ろす。コンパートメントのドアをロックするように、と鈍い声で命じた。
  個室に2人っきりである。石射の顔色が変わる。「もしかして、大使は……」とつぶやいた。幣原にそちらの嗜好があるのでは、と疑ったのだ。
  幣原はにやりと笑って、自分のかばんからウイスキーの瓶を取り出した。「それだったのですか」と石射の表情が恐怖から安堵に変わった。
 そんな過去の1ページを知ったとき、堅物で面白みに欠けるといわれた幣原元首相の知られざる素顔を見た気がした。
  もちろん酒をやらないからといって、人物研究の対象外とするわけではない。だが、「飲まない人」と分かると、これは手ごわいな、とつい身構える。相手の内実に肉薄するのに、ほかに何かいい手はないかと考え込んでしまう。
  私の酒好きは生まれた土地と家が影響しているのは間違いない。悪名高い酒飲み天国の高知県に生まれた。父親は事業に失敗して家業をつぶした後も、酒だけが楽しみで、最後はたらふく飲んで脳卒中で倒れ、8年後にあの世に逝った。
 「お義父さんの二の舞いになるよ」と女房に小言を言われるのは毎度のこと。だけど、酒だけはやめられない。
  文句を言われると、自分の中のもう一人の左党の自分が、「つきあいはあんたよりも長いんだから」と悪魔のつぶやきを口にする。女房とは結婚前も含めて48年だが、酒とは52年の腐れ縁だ。
 ときどき頭の中で数を数える。これから死ぬまで何回、酒が飲めるのか、と。
 今、72歳だから、残り7~8年くらいかなと思う。特別の日以外は、おてんとうさまが山に隠れるまでは禁酒、最低1ヵ月の半分の15日は休肝日、と二つの自己ルールを定め、守るように心がけているから、この先、健康なら、1年に計 180回として、7~8年で都合約1400回という計算になる。
 1400回も飲めるのか、とは思わない。たった1400回しか飲むチャンスはないのか、というのが正直な気持ちだ。最近はワイン党だが、1400回で世界中のワインがどれだけ飲めるのかなと考えると、とても回数が足りない。
 舌と頭とハートと体。酒のうまさと奥行きの深さは、この四つで実感するものだと思う。
  健康な舌、クールな頭、熱いハート、それを受け入れる元気な体がそろっていなければならない。「酒に見捨てられないための努力」は今も重要な仕事の一つと思っている。

(記事初出は『醸界春秋』No.90〈2004年6月15日発行〉掲載・「酒の旨さは舌と頭とハートと体で」 2019年2月加筆・修正)