「人生の師」の3冊の本

「人生の師」の3冊の本

 仕事柄、たくさんの本のお世話になってきた。だけど、正直なところ、もともとは本好きでもなければ、読書家でもないと思っている。本を読むのは、多くの場合、自分の原稿執筆や講演の準備に必要な研究や調査、資料としての活用、「書評を」という依頼を引き受けたとき、あるいはノーハウの学習や知識の吸収などが目的だ。
 それでも、読みたくて手にする本もある。何といっても、人物に関する著作だ。自伝、評伝、一代記、列伝などの伝記の類、特定の人物に関する記録、物語、評論、論考、リポート、ルポルタージュといった人間研究は、古今東西を問わず、興味深い。活字で知った他人の生涯や人生の断片から、教訓と指針を読み取ることも多い。
 もう一つは、ノンフィクションの書き手として当然といえば当然だが、ノンフィクションの作品は、読んでみようという気になる。自分でも取材や調査で何度も「事実は小説より奇なり」を実感してきたが、ノンフィクションの秀作と出合ったときの感動は、何よりもその点だ。
 本との付き合いはこんな程度だが、振り返って、生き方の指針となった本、「目からうろこ」を実感した本がいくつかある。中でも、これがノンフィクションの書き手、政治評論という道に進む際の先導役になった、と今も強く印象に残っているのが、高坂正堯著『海洋国家日本の構想』、マックス・ウェーバー著(濱島朗訳)『権力と支配』、伊藤昌哉著『池田勇人その生と死』の3冊だ。いずれも初めて目にしたのは1960年代後半の学生時代だった。

 ノンフィクションは「狙う、調べる、掘り出す、描く」という4つのプロセスを経てでき上がる。「狙う」はテーマの選択、「調べる」は取材と調査、「掘り出す」は事実の発掘、「描く」は執筆である。経験から言って、一つの著作に取り掛かろうとするとき、成功するかどうかは、4つのプロセスのそれぞれの段階で、満足の行く仕事ができるか否かにかかっている。
 その中で最大のポイントは「調べる」と「掘り出す」だが、取材と史実の発掘で決め手となるのはヘッドワークとフットワークだ。ヘッドワークは試行錯誤の連続で、自慢できるものは乏しい。フットワークとは、取材のためなら、いつでもどこへでも出掛けていく足腰の強さをいう。ノンフィクションの書き手として独り立ちして38年になるが、ここまで続けられたのは、フットワークが衰えなかったのが大きいとつくづく思う。
 ノンフィクションの書き手として、失ってはならない重要な視点とは何か、といつも考える。
 第1は、長い歴史の中で今はどういう時代なのか、正確に読み取ることだ。といっても、実際には、簡単ではない。そこを間違って苦労した思い出は数多い。目の前で起こっている変化を正しく認識せず、見当外れの原稿を書いて恥を書いた記憶は1回や2回ではない。
 その失敗を繰り返さないためにも重要と肝に銘じている点だが、2つ目は、「鳥の目」と「虫の眼」を心掛ける。鳥瞰図という言葉があるように、全体の動きや大きな流れを俯瞰して鷲づかみにするのが鳥の目である。一方で「事実は細部に宿る」という有力な格言もある。虫の眼は、事実の細部を切り開いて断面図を観察するのに必要だ。
 3番目は、誰もが普通に、なぜだろう、と思う「素朴な疑問」と「好奇心」にこだわり続ける。
 以上の3つのマインドは、ノンフィクションの書き手のエンジンと胸に刻んでいる。 

 高校を卒業して半年後、受験浪人中の1965年9月に、表題の「海洋」の2文字に引き寄せられて何気なく買ってみたのが、京都大学助教授(後に教授)で国際政治学者だった高坂正堯さんの代表作『海洋国家日本の構想』である。
 世界地図の中での国際政治というアプローチを初めて知った。併せて戦後の日本の潮流だった「理想主義の平和論」の問題点と「現実主義の平和論」という着眼点を学んだ。
 著者は日本の地政的な位置について、東洋の離れ座敷の「極東」と、西洋の端に存在する「極西」の2つの視点を示し、海洋国家という方向性と通商国民の利点を説いた。「鳥の目」を開眼させてくれた本だった。
 そこまでは多少、雑念や迷いもあったが、この本を読んで、大学では政治学を、と決めた。
 そこで素朴な疑問と好奇心が広がった。権力とは、支配とは、統治とは何か。権力分立、代議制民主主義、政党、官僚制など、何となく分かっているようで、本質が見えない。
 政治学・社会学・経済学の世界的権威者として知られるドイツの学者のマックス・ウェーバーは、『権力と支配』で、「正当的支配」を合法的支配、伝統的支配、カリスマ的支配の3つの純粋型に分類し、「支配と服従」の論理と心理、メカニズムを的確に解明している。「目からうろこ」だった。
『池田勇人その生と死』は、1960年7月から64年11月まで政権を担った池田元首相の下で首相秘書官を務めた元新聞記者の著者が、49年1月の出会いから65年8月の死別まで、池田元首相と行動を共にした日々を書きつづって、66年12月に刊行した回想録である。
「池田総理と私は、車のなかでよく話をした。その日の打合せがおもなものであったが、そこからいろいろと発展して、話は各方面にとぶのがつねであった。総理は、そのときの懸案をさりげなく私に話し、自分に言い聞かせるようにして判断をかためていこうとするフシがあった」
 巻頭の「はしがき」の書き出しで述べている。
 伊藤さんは、池田内閣時代に目撃し、耳にした政権の現実、首相の個性と心の動き、政策決定や権力闘争の裏表を題材に、首相との会話などの肉声を駆使してリアルに記録した。私が初めて触れた政治内幕本であった。
 これが最高権力をめぐる生の政治なのか、とその観察眼に驚愕し、一気に読み切った。「虫の眼」の大切さと面白さを教わった。

 この3冊は、半世紀以上の時間を超えて生命力と説得力を保持し続ける「生きた古典」だが、私にとっても、生き方と進むべき道を教えてくれた「人生の師」と今も思っている。

(記事初出は、「生きた古典たち」〈『週刊世界と日本』2021年5月24日号所収・「読者への誘い―私の薦める三冊」〉 2021年6月加筆・修正)