「嵐を呼ぶ男」

「嵐を呼ぶ男」

「嵐を呼ぶ男」とからかわれる。映画『嵐を呼ぶ男』で主役を演じた石原裕次郎のような雨男でもないのに、講演の日、台風や集中豪雨、大雪、地震などによくぶつかるからだ。
 2018年12月までで計 360回を超えた時事通信社の内外情勢調査会の講師は、1993年1月の北海道の帯広市と釧路市が皮切りだが、釧路沖地震の直後の猛吹雪の日だった。95年1月の阪神・淡路大震災の日も、京都市で講演の予定があった。
  2000年9月、岡山市に向かう日の朝、東海地方の豪雨で東海道新幹線がストップし、肝を冷やした。翌01年1月、まだ北陸新幹線がないころ、大雪で富山市まで9時間の鉄道の旅を体験した。
  自然界の嵐だけでなく、「永田町の嵐」にもたびたび遭遇した。自民党の初めての野党転落のきっかけとなったのは、1993年6月の宮沢喜一内閣不信任案の可決だが、長崎県の佐世保市での講演の日だった。
  98年7月の自民党総裁選の日、投票の直前に広島市で講演があり、小渕恵三、梶山静六、小泉純一郎の3氏の争いについて、講演終了の直後に判明する選挙結果を予想しなければならなかった。思い切って「梶山勝利」と述べたところ、数時間後に「小渕総裁誕生」となり、赤恥をかいた。
  2018年12月1日、政策研究フォーラム福岡県連絡会主催の講師で福岡市に出かけた。夕方からの講演で、その晩、福岡市内に宿泊することになり、ホテルを予約しようと思った。ところが、カプセルホテルと超高級ルームを除いてすべて満室で、泊まる部屋がない。仕方なく、北九州市の小倉など、周辺も当たってみたが、空室ゼロ。
  調べてみると、同じ日に福岡ドームで数万人を集める大型コンサートがあり、ファンが福岡市に殺到するのが原因と分かった。コンサートはジャニーズ事務所所属の5人組のアイドルグループ「嵐」である。
「嵐を呼ぶ男」とからかわれてきたが、とうとう本物の「嵐」まで呼んでしまったか、と思った。
  講演の日、なぜか台風、集中豪雨、大雪、地震などに頻繁にぶつかるが、中止は阪神・淡路大震災の日のだけだ。内外情勢調査会だけでなく、ほかの講演も含めて、会場に出向くことができなかったりして講演中止となったのは、この1回きりである。
  月刊『文藝春秋』記者時代以来、取材・講演の「健脚商売」は2019年で42年になるが、おおむね健康で、大過なく仕事をこなすことができた。加えて、昔からの「旅行好き」が助けとなっている。旅のスケジュール設定は、実際に実現しなくても、あれこれプランを考えるだけでいつも楽しい。
  そんな趣味が幸いして、鉄路、空路、海路、陸路とも、取材や講演での旅の手配は、割と手際がいい。取材の約束をいただいた方々や、講演の主催者に、足の便でご迷惑をかけることはきわめて少ないのが、ひそかな自慢のタネである。
 もちろん本業は物書きで、講演の講師と二足のわらじだが、本業の世界では「講演は物書きをだめにする」という声もしばしば耳にする。「しゃべるほうが楽で、中身もお手軽だから、堕落する」「1時間の講演料が1日かけて書く原稿の原稿料よりも高い。執筆意欲が低下する」「講演は言いっ放し。文章が粗っぽくなる」等々。
  確かにそのとおりだと思う。お手軽に済まさない。堕落に注意する。執筆意欲を失わない。粗っぽい文章を書かない。そこは要注意と言い聞かせてきた。
  反面、講演には隠れた効用もある。講演が文筆に役立っているという意味だ。
  講演は発信と受信に時間差がない。一発勝負の緊張感や、聞き手と直接、対峙する臨場感がある。目の肥えた読者は物書きには怖い存在だが、耳の肥えた聞き手も手ごわい。
  そこも刺激的だが、講演を引き受けていて、実際に気づいたことがある。
 ノンフィクションの書き手として、政界や官僚機構、政策決定過程の研究、昭和史、人物論などに取り組んできた。同時代の人々の営みや事実を掘り出すのが主たる作業だから、時代や社会を正確にとらえる感覚や意識が要求される。
  だが、仕事の仕方は、どちらかといえば、日々の動きの追跡よりも、選び出したテーマに沿って、時には時間と空間を超える視点で調べを進め、事実を発掘して書くというスタイルだ。
  政界や官界を扱うことが多くても、日常の出来事や実態から遠ざかることがある。一つの世界で定点観測を続ける新聞記者と比べると、現実を追い切れないという弱みもある。
  ところが、連続して講演を引き受けることによって、そのハンデを克服する機会を得た。物書きとして長期的に取り組むテーマとは別に、日々の動きや実態を捕捉する取材が必要となるからだ。講演用の取材の中で、ノンフィクションのテーマとなる骨格の大きい題材に出合ったことも少なくない。
  講演と文筆の複合的効果は予想以上に大きい。「永田町の嵐」に遭遇したときなどは、なおさら効用を実感する。講演料を頂戴しながら、こんな副産物まで手にすることができるとは、講師みょうりに尽きると思う。
「嵐を呼ぶ男」は体力勝負。だが、台風にも豪雨にも地震にも大雪にも負けず、このまま走り続けたいと今も思っている。

(記事初出は『世界週報』2005年1月25日号掲載・「嵐を呼びつつ走り続ける」 2019年1月加筆・修正)