アニサキス・アレルギー戦記
- 2019.05.27
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物書きとして独立して35年余り、原稿執筆は基本的に朝型で、外出の予定のない日は朝6時か7時に起きて、自宅の仕事部屋で机に向かう。集中力を維持してぶっ続けで根気よく、というのが平気なたちだ。夕方まで休みなくという日が多い。
朝から9時間以上も文字と格闘すると、頭はふらふら、目はしょぼしょぼで、そろそろ限界だ。夕刻、今日はここまでと打ち切って、車のハンドルを握る。目的は夕食の食材探しで、近くの魚屋やスーパーを巡る。
三方を海に囲まれた高知県の生まれで、無類の魚好きである。子供のころから、かつお、さば、ぶりなど、魚ばかり食ってきた。何よりも目がなかったのがさばだ。
週に1回は自分でしめさばを作って味わうのがずっと楽しみだった。色つやのいいまさばが見つかると、1尾、買って帰る。3枚に降ろし、軽く塩をして、緩めの酢でしめさばにする。丸一日、冷蔵庫で寝かせ、次の日に刺身か棒寿司で、というのが定番のコースだ。
ところが、14年前の2004年、58歳のときに異変に遭遇した。
9月初め、前夜に自分でしめたさばでさば寿司を作り、それで昼飯を済ませた。まさばの旬は秋口から春先。時季外れで、味は今一つだったが、さば好きには夏も冬もない。
昼食後、2泊3日で滋賀県大津市に取材旅行に出かけた。東京駅から新幹線で京都に向かう。さば寿司を口にして約2時間後だ。車内で全身がかゆくなった。じっとしていられないほどの強烈なかゆみである。両腕をまくると、手首まで赤いはれが広がっている。びっくりした。
夕方、京都に着くころに、かゆみもはれも引いた。大したことはなさそうだと勝手に考え、そのままにした。
その後も特に気に止めず、魚を食べ続けた。さすがにさばは避けて、ほかの魚にしたが、2~3ヵ月に1度、同じように体中に赤いぶつぶつが出る。何だろうと気になり始めた。
翌年の05年7月初め、このときはひらめの刺身だった。何も気にせず、いつもどおり好きな食材を買い集め、わが家は、さながら家族だけの酒宴となる。ワインもたっぷり飲んで、晩の9時、上機嫌で箸(はし)を置いた。
11時過ぎ、眠気に誘われてベッドに。1時間後、午前零時を回ったころだった。
体中、あっちもこっちもかゆくなる。 言いようがない猛烈なかゆみで、血の中がかゆいという感じ。ぼりぼりかきむしる。赤みを帯びた湿疹が、5ミリの厚さの赤い皮をかぶったようにはれ上がり、くっつき合って、腹も背中も手足も世界地図みたいになった。
腹痛と吐き気もすごかった。我慢できないほどの激しさで、じっとしていられない。その後に息苦しくなった。ベッドの上でのたうち回る。これは尋常ではない。
家族も気づいた。「下唇が膨れ上がり、2センチくらい突き出している。あんこうか、おにおこぜみたい」と女房が言う。鏡を見ると、まるで別人のような顔だ。
暴れる姿を見て、女房が心配顔で「救急車を呼ぼうか」と声をかけた。だが、2時間くらいで何とか収まってきた。とはいうものの、眠れない一夜を過ごした。
その後、続けて1ヵ月に計3回、魚を食べた日に同じ目に遭った。放っておけないと思った。
7月21日、都内の大きな病院のアレルギー科を訪ね、血液検査を受けた。数日後、結果が判明した。1項目だけ、異常に高い数値が出ていて、一発で「アニサキス・アレルギー」と診断された。
アニサキスは海の魚の寄生虫である。魚の中に残ったアニサキスの成分を摂取すれば、反応して呼吸が苦しくなったり、急激に血圧が低下するなどのアナフィラキシー・ショック(アレルゲン摂取後に現れる呼吸困難や意識障害)を起こす。突然死の危険もあるという。
これとよく似た疾患で、「アニサキス症」と呼ばれる症状があるが、アニサキス・アレルギーとは別物である。
人によって、刺身や寿司などを食べたとき、魚の身の中にいたアニサキスが生きたまま人間の胃の中に入り込んで内側から胃壁にかみつき、七転八倒するような激痛に見舞われることがある。病院に行って内視鏡で除去してもらう人が大勢いる。アニサキスによる食中毒で、これがアニサキス症だ。
私が背負ったアニサキス・アレルギーは、長年にわたって知らず知らずのうちにアニサキスの成分を摂取し過ぎたため、体内に蓄積されたアニサキスのアレルギー源が、許容量を超えてしまって、さらに摂取した場合に反応して発作を引き起こす、というのが医師の説明だった。原因は、一言でいえば、魚の食べ過ぎである。
突然、アナフィラキシー・ショックが出る。30分以内に病院に駆け込んで助けてもらわなければ危ない場合がある、と言われた。病院に行けない事態に備えて、解毒液の「エピペン注射液 (0.3mg)」付きの注射器セット「スターターパック」を所持するように、と指示された。
アニサキス症だと、胃の中で暴れる生きたアニサキスだけが問題になる。一方、アニサキス・アレルギーは、生きたアニサキスはもちろん、アニサキスの死骸もアレルギー源だから、体に入れてはいけない。熱処理済みの食材も、冷凍も、魚類を原料とする練り物のかまぼこ、ちくわなどの加工品も危ない。死骸が付着しているおそれがある魚卵もNGだ。
説明を聞いて、大変なことになったと思った。魚好きには重大な問題である。
これから先、どう対応すればいいか、尋ねようとしたとき、その前に医師はたった一言、「大丈夫ですよ。海の魚と、それを原料にしたものを食べなければ……」とさらりと言った。気をつければ問題ないとのことだが、海の魚類はノーという宣告である。目の前が真っ暗になったような気がした。
「海の魚は全部、だめですか。食べても問題がない魚はいませんか」と質問したが、「その点は、専門が違うので……」という返事である。
それ以上に、治るか治らないか、そこが気になった。治療や投薬、アニサキス・アレルゲンの不摂取などの食生活の改善、あるいは時間の経過による自然治癒も含めて、将来、もう一度、魚を食べることができるようになる道はないのかどうか。
「海の魚をいっさい食べないようにして、10年後にもう一度、検査すると、何十人かに1人、数値が大きく下がる例はあるようです。だけど、まあ、治らないものと思って、気をつけて暮らしてください」
こんな答えだった。
生涯、魚はあきらめるしかないか、と一度は観念した。魚を食いすぎたため、魚に復讐(ふくしゅう)されたのだ、と自分に言い聞かせた。
とはいえ、以後も、毎年、木の葉が色づき始める季節になると、舌がうずいた。
「ああ秋さばと戻りかつおが恋しいなあ……」
魚を食いたいという思いは増すばかりだ。
海の魚はノーと宣告を受けたけど、本当に世界中のすべての魚が摂取不可なのだろうか。こんな疑問が頭をもたげる。
取材や調査はもともと本業である。「魚、食いたい」の一心が出発点だが、魚や海の寄生虫の生態、水産業や養殖事情など、自分でとことん調べてみようという気になった。
1974年刊行の日本水産学会編集『魚類とアニサキス』(恒星社厚生閣刊)という専門書を見つけた。専門家が魚市場で取引される魚介類を徹底的に調査して、アニサキスの寄生の有無が一覧表で表示してあった。救われたと思った。
精読・精査して、アレルギーの素であるアニサキスの生態も把握できた。犯人はアニサキスの幼虫をえさとするプランクトン(南極海などを除けば、日本近海も含め、主としてオキアミ)である。
アニサキスは「最終宿主」の海中哺乳類(くじら、いるか、あざらしなど)の内臓の中で卵を産む。海中哺乳類が排泄物(はいせつぶつ)を垂れ流すとき、アニサキスの卵も一緒に海中にばらまかれる。海中で孵化(ふか)したアニサキスをオキアミが捕食し、アニサキスはオキアミの体内に寄生する(オキアミが「第1宿主」)。
次に魚介類がオキアミを食べる。オキアミの中のアニサキスは、今度は魚介類のはらわたやえらに寄生する(魚介類が「第2宿主」)。その魚介類をくじらなどの海中哺乳類が飲み込む。一緒に海中哺乳類の体内に入ったアニサキスは、海中哺乳類の内臓で成虫となり、産卵する。
こういう循環で生息しているようだ。
今から 178年も昔、わが郷里の土佐に中浜万次郎(ジョン万次郎)という14歳の少年がいた。漁師のかつお舟に雇われ、1841(天保12)年の正月5日、土佐の宇佐港(現高知県土佐市)から出漁した。
悪天候に遭って漂流し、太平洋上の鳥島に漂着する。6月にアメリカの捕鯨船に救助されてハワイのホノルルに運ばれた。捕鯨船のアメリカ人船長に付いて太平洋で捕鯨活動に従事した後、16歳のとき、船長とともにアメリカ東海岸のマサチューセッツ州のフェアヘブンに移った。
鎖国時代に都合10年、海外生活を送った。1851(嘉永4)年に24歳で沖縄本島の摩文仁の海岸に帰着する。江戸末期、アメリカの文明や政治制度、思想などを日本に伝え、日本近代化の先駆者の一人と呼ばれた。
万次郎と捕鯨船はなぜ太平洋上で出合ったのか。
アニサキスが寄生するオキアミはかつおの好物で、かつおはオキアミを目当てに回遊する。一方、オキアミはくじらが排出するアニサキスを捕食するためにくじらの周りに集まる。
江戸時代、土佐のかつお舟は、かつおの魚群がくじらの周りに集まるという習性を知っていたに違いない。かつお漁では、くじらの出現を目印に、遠洋まで出かけていたのだろう。
そこでアメリカの捕鯨船と遭遇することも珍しくなかったのではないか。洋上で飲料水や食料を交換するなど、ひそかに交流を持った可能性がある。
アニサキスが万次郎とアメリカ船の間を取り持つ役割を果たしたといえなくもない。
あれこれと調べているうちに、知らなかったアニサキスの生態と生息循環に気づいた。
オキアミを捕食する魚にはアニサキスが寄生するが、アニサキスの「第1宿主」はほぼオキアミに限られているため、生態上、オキアミを捕食しない魚や、捕食する条件と状況がゼロの魚には、アニサキスはいない。オキアミを捕食しない魚なら、アニサキスは無縁で、アニサキス・アレルギーの持ち主が食べても問題ないということになる。
オキアミは海にしかいないから、あゆ、にじます、いわな、わかさぎ、ふななどの川魚や淡水魚は問題外だ。 海の物でも、魚類ではないえび、かに、たこ、貝類はオキアミを捕食しないから、心配ない。いかは、こういか、あおりいか、剣先いか、もんごういかなどは無関係だが、するめいかだけはアニサキスが寄生するので、アニサキス・アレルギーの人は食べてはいけない。特にするめいかのわたをエキスとするいかの塩辛は禁物だ。
くじらなどの海中哺乳類はどうか。「第1宿主」だから、内臓部分はアニサキスの巣だが、人間が食用にするのは内臓以外の「鯨肉」と呼ばれる部分だ。哺乳類の場合、内臓に寄生するアニサキスが内臓以外の部分に忍び込むことはないので、人間が鯨肉を食べても、一緒にアニサキスを摂取する危険はない(ただし、内臓部分を食べるのは不可)。
海の魚も、すべてノーというわけではないが、どの魚が大丈夫か、見極めはなかなか難しい。安全第一なら、医師の指示に従って「海の魚類はいっさい食さず」という禁欲生活を徹底して貫くしかないが、魚好きはそうは行かない。
アニサキスがいない魚を探し求めて、研究や調査を重ねた。 その結果、アニサキス摂取の危険性がなく、食べても影響ないと判断できる魚が浮かび上がった。
すべてのアニサキス・アレルギーの人たちに「絶対に安心」と保証できるデータではないが、アニサキス・アレルギー発症の後、以下の基準で自分流に可否を見極め、OKの魚は恐れずに口にしてきた。14年余り、実際にずっと食べて、何も問題はなかった。
摂取可と判断した魚の第一の分類は、例外的に「生態上、オキアミを捕食しないとされている魚」である。いしがきだい、いしだい、うまづら、かわはぎ、ぐち(にべ)、こうなご、このしろ(こはだ)、まこがれい、めばるなどだ。
第二は、魚介類の処理の仕方によってアニサキスが除去され、摂取の危険がない場合である。
通常、人間は魚の身(肉)を食べる。オキアミを捕食した魚が生きている間は、アニサキスは魚のはらわたやえらに寄生している。魚が人間に捕獲されて死んだ後は、アニサキスは魚のはらわたやえらの中でしばらく生き延びた後、死んだ魚の身の中に進出する。その後、アニサキスも死に絶えるが、死骸が魚の身の中に残る。人間は魚の身と一緒にそのアニサキスの死骸を摂取してしまうのだ。
ということは、魚のはらわたやえらにいたアニサキスが魚の身に入り込むことがないという調理環境が完璧に保障されていれば、どの魚を食べても、アニサキスの摂取はないということになる。たとえば、生け簀(いけす)料理などで、板前が生きている魚を目の前で調理して、はらわたやえらを完全に除去する。それを自分の目で確認して、その魚をその場で食べるケースなどだ。
海や養殖場で魚を捕獲した後、魚が生きている段階ではらわたとえらを切除して水揚げするとか、洋上の漁船内で生きている魚をそのまま瞬間冷凍するやり方も、魚の身の中にアニサキスが入り込む余地がない。遠洋漁業で捕獲するまぐろやめばち、かつお、養殖のくろまぐろ(本まぐろ)などは、この処理方法が多く採用されているという。
ふぐ料理のように、魚が生きている間に内臓切除の処理を行うのが本来の調理方法となっている場合も安全と思われる。ふぐは、毒が身全体に回るのを阻止するため、生きている間に内臓を切除するが、仮にアニサキスがいても、毒と一緒に除去される。
養殖のやり方として、「アニサキス対策」を採用し、オキアミを摂取させずに育てられている魚は、安心と見られている。プール養殖のひらめ、アニサキス対策に熱心といわれているノルウェー産の養殖サーモンなどだ。
鹿児島県産の養殖かんぱちや養殖ぶりは、養殖の段階で「アニサキス対策」を講じているといわれている。ただし、すべての養殖業者が完全な「アニサキス対策」を実行しているかどうかは未確認である。
アニサキス・アレルギーと診断された後は、以上の諸点に細心の注意を払い、疑いのあるものは絶対に口にしないという毎日を送ってきた。
といっても、大の魚好きの性分は変わらない。食材探しの魚売り場巡りはやめられなかった。
ただ、目当ての魚が一変した。色つやのいいまさばがいても、見向きもしない。今度は「アニサキス不在魚種」の物色という宝探しのような魚屋巡りとなった。
食事の支度では、女房にも苦労をかけた。亭主が食べられる魚を、と「アニサキス不在魚種」を探すのが日課となった。目当ての魚に出合わず、「今日はスーパーを5軒も回ったのよ」と愚痴を聞かされる日もある。
生活上、食事で海の魚を完全遮断するのはなかなか難しい。仕事上の会食で、出された料理を前にして、海の魚はすべて口にしないというわけにいかない場合もある。危ない橋を渡った、と肝を冷やす場面もないわけではなかった。
だが、細心の注意のお陰で、再発は一度もなく、「エピペン・スターターパック」の世話になることもなかった。ほぼ完璧にアニサキスを遮断できたと自負している。
その結果、アニサキス・アレルギーと診断されて8年後、吉報を手にした。
6年前の2013年、数年ぶりに血液検査を受けた。結果を聞いて、小躍りした。体内のアレルギー源の数値が大きく降下していたのである。
最初の検査の際、「何十人かに1人、数値が大きく下がる例がある」という話を耳にしたが、その「何十人かに1人」のケースにぶつかったのだ。場合によっては命の危険も、という恐怖の食生活から、8年ぶりに解放された。
ほっとしたが、晴れて無罪放免とはいかない。昔のようにどんな魚も気楽に口にできるようになったと気を緩めると、「いつか来た道」に逆戻りする心配がある。アニサキスの再侵入で、数値がもう一度、上昇に転じる危険性があるからだ。
「アニサキス不在魚種」の物色という宝探しのような魚屋巡りは今も変わりがない。
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